私の好きな競走馬「テイエムオペラオー」

 好きな競走馬を一番目に上げるとすれば、言わずと知れた七冠馬「テイエムオペラオー」です。

理由としては競馬を始めた頃に一番強かった競走馬であったため、とにかく印象に強く残っています。


2000年は無傷で最終レース、有馬記念を迎えます。

そして見事にこのレースを優勝し、通年無敗のインパクトを超える名馬は「テイエムオペラオー」以外に私は浮かびません。

しかも、この有馬記念の勝ち方が凄まじかった。


有馬記念は他馬からのマークがきつく、4コーナーを回る時には後方で馬群に包まれたまま、、

「万事休すか?」と誰もが思っていたら、あの中山の短い直線で馬群を縫う様に抜けて、早めに直線を抜け出したダイワテキサス、メイショウドトウを次々ゴール直前に捉えて優勝。

ダイワテキサスのジョッキー蛯名さんも、勝利を確信していたかの様なコメントをしていて、「まさかそこから来たの?」と言った感じだったのでしょう。


和田ジョッキーのコメントでは自分が諦めていたら、馬が自ら馬群から抜け出して勝利していたような感覚で、それぐらい凄まじい闘争本能がオペラオーにはあり「前にいる馬は抜く!」と言う気持ちが本当に強かったレースだったと思います。


2000年で出走したレース全てで無敗ですよ!無敗!こんな競走馬はその後に見た事はありません。

なんと8戦8勝で、内G1を5勝したのですから。


その分、翌年は燃え尽きてしまったのでしょうか、初戦の産経大阪杯ではまさかの4着に敗退。次走の春の天皇賞では最後のG1を勝利したものの、その後のG1レースではライバルのメイショウドトウに宝塚記念で初めて敗れ、雨の天皇賞(秋)ではアグネスデジタルの外差しに屈し、ジャパンカップでは新世代のジャングルポケットに破れて全て僅差の2着、、


引退レースとなる有馬記念ではG1レース8勝目のラストチャンス。

皇帝シンボリルドルフを超えるチャンスは沢山ありながらも2着の惜敗続き。引退馬のフィナーレを有馬記念で、かつG1優勝記録更新8勝の快挙を目の前で見てみたい。

いてもたってもいられず、私は中山競馬場に初めて足を運びました。

しかしながら、私は有馬記念と言うレースがこんなにも賑わうレースとは初心者の私は想像しておらず、パドックで写真を取ってからレース観戦と軽く思っていたらメインスタンドにはもう戻れない状況の人だかりが、、

あまりの人垣と諸事情もあり観戦を諦めて、船橋法典駅に帰る途中にあるモニターで観戦した寂しい記憶が今でも甦ります(涙)


「テイエムオペラオー」のラストラン有馬記念は5着。


長距離レースあるあるのスローな流れから前が残る展開。武豊ジョッキーのトゥザヴィクトリーが序盤から鼻を切り、それに追従する人気薄のアメリカンボス、それらをその年の菊花賞馬「マンハッタンカフェ」が差しきる大荒れの有馬記念になりました。

アメリカ同時多発テロのあった年で、時事馬券では「マンハッタンにアメリカか??」と終わってみたらこじつけの様な結果になっていたのを思い出します。


栄枯盛衰をまさにこの馬に教えて貰った様な感じで、全盛期全勝の2000年を過ぎると、2001年後半は完全なる世代交代の波に飲まれ、勝てなくなっていく寂しさも見せてくれた馬でもあります。

近年の「アーモンドアイ」や「キタサンブラック」の様に強さを見せ付けて引退するような競走馬もいますが、私はこの「テイエムオペラオー」に哀愁を感じずにはいられれません。


和田竜二ジョッキーはオペラオーとの2001年春の天皇賞以降G1では勝利が無く、ミッキーロケットとのコンビで2018年の宝塚記念をようやく勝利します。

その際の勝利ジョッキーインタビューのコメントは涙を誘います。一流ジョッキーとなりG1勝利をするまではオペラオーには会わないと誓っていた和田ジョッキー。


奇しくも同年に亡くなってしまったオペラオーが後押しするかのようにG1宝塚記念の勝利。和田竜二ジョッキーの目からはゴール直後、自然に涙が溢れ出ている様でした。


テイエムオペラオーも引退後、種牡馬となり産駒を輩出していますが、それほど活躍した馬はいませんでした。

オペラオー自身もオークションでは人気が無く、スタートそのままの1000万と言う破格値で落札されています。そんな競走馬が18億もの賞金を稼いでしまう。

それもまた競馬の摩訶不思議な魅力だと思います。

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