「サンデーサイレンス」の偉大さを知る
先日、たまたまサンデーサイレンスのYouTube動画を視聴し、今更ながらWikipediaで調べていたらサンデーサイレンスは波乱万丈の競走馬であったことを初めて知りました。
競走馬には生きている限り、チャンスや未来があるのだと改めて気付きました。
シュリット君にも怪我の際に「これ以上は難しい…」と言う意味合いのブログアップをしましたが、可能性が少しでもある限りは見捨てない、見離してはいけないなと。クラブであるDMMさんの決定には逆らえませんが…
サンデーサイレンスの話をかなり要約して書くと、産後は足がヒョロ長く上体は華奢(きゃしゃ)で見映えが悪く、血統の評価も低い事から「醜いアヒルの子」の様に扱われていたこと。噛みつく様な気性の荒さも嫌われていた原因の様です。
一歳の11月には腸疾患になり生死の間を彷徨い、医師からも見離されたが何とか立ち直ったこと。
セリでは評価が上がらず二度も生産ファームが買い戻したこと。
セリの後に馬運車で輸送中に事故で車両が転倒し、生き残った競走馬はサンデーサイレンスのみ。その後、怪我の回復を待ち、走る能力や精神的な面がクリアされたのを確認し競走馬としてデビューに至る。
かなり厳しい局面から這い上がってきた競走馬だったのだと知りました。
デビュー後の競走馬としての活躍は調べれば分かるのですが、アメリカクラッシック三冠の一つ目ケンタッキーダービーの前哨戦である「サンタアニアダービー」で7馬身差の圧勝、その出走権を握る。
二番人気で迎えた一冠目の「ケンタッキーダービー」では一番人気イージーゴアを破り、見事優勝し一冠馬となる。しかし、雨で荒れた馬場でのフロッグ勝利と見なされて、二冠目の「プリークネスS」でも二番人気とサンデーサイレンスの評価は上がらなかった。
しかし、このレースはイージーゴアと最後の直線の叩き合いが凄まじいマッチレースとなり、ゴールでハナ差を凌いだサンデーサイレンスに軍配が上がる。
このレースはYouTubeで是非とも見て貰いたい一戦です。
プリークネスS(YouTubeリンク)
- イエロー8番サンデーサイレンス
- レッド2番イージーゴア
三冠目のベルモントステークスでは一番人気にサンデーサイレンスは支持されるも、イージーゴアに負けてしまう。
古馬となっても活躍を期待され、翌年も現役を続行しましたがプリークネスSの時から抱えていた脚部不安がまた出始めて、1990年は二戦しか走っておらず、G1を一勝するに留まり、靭帯の故障によってそのまま引退を迎える。
日本では芝で活躍する産駒が目立ちますが、サンデーサイレンス自身はすべてダートでのレースで、日本で活躍したダート馬産駒は「ゴールドアリュール」ぐらいなのは意外でした。
1889年エクリプス賞年度代表馬、最優秀三歳牡馬にもなったサンデーサイレンスだがアメリカではヘイロー産駒の実績が悪いこと、母の牝系ラインも定評価であったことから引退後の種牡馬としての評価はレース実績があっても上がらなかった。
その結果、アメリカ景気不況、ファームの拡大によって借金を抱えていたストーンファームの経営者が社台ファームの吉田善哉氏の熱意によって約16億円で取り引きされ日本に来る事になります。
その際、「日本人ブリーダーがとても成功しそうにない母系から生まれた、ヘイロー産駒を買って行った」とアメリカの競走馬生産者からは笑いものの様に扱われ揶揄された様です。
しかし、その結果はどうでしょう。初年度産駒からサンデーサイレンス産駒は活躍し、翌年1995年から13年間の長きに渡り日本ではリーディングサイアーのトップに君臨する事となります。
日本の競馬界を底上げし、牽引してくれた馬、サンデーサイレンスには感謝しかありません。
彼が日本に来てくれなければディープインパクトも、オルフェーブルもいなかったんですよね。
さて、肝いりで社台ファームが種牡馬として導入した「ブリックスアンドモルタル」はどうでしょうか?
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気性の荒さはサンデーサイレンス並みみたいですね(笑)
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